後ろ向きな記事?【今週のお題】「部活」の思い出
今週のお題「部活」
「仕事が人を輝かせるのではなく、人が仕事を輝かせる」
こんにちは!TLBライフ株式会社の境です。
本日は「はてなブログ」さまご指定の【今週のお題】である、「部活」についてです。
先週初めて【お題】にチャレンジしましたが、テーマを指定されると難しいですね…💦
ということで、今回も宜しくお願いいたします。
「部活」の思い出
小学校3年生から地域の少年野球チームに入り卒業まで続けたということもあり、神奈川県は平塚市立の中学校・県立高校と「野球部⚾️」一筋。
「部活」ですか…。
今振り返ってみると、「愚かな自分」ばかりが浮き彫りになるばかりで、あまり良い思い出がないのが実際ですが、中学・高校と強く印象に残っていることを、思いつくままに列記していきたいと思います。
⒈ 中学校時代の「部活」の思い出。
最も印象に残っていることをふたつほど。
まずはひとつ目です。
①怖い先輩
30年以上経った今でも忘れることのできない「おぞましい思い出」として残っているのは、1年生として入学した4月からひとつ上の2年生が引退する7月までの約1年4ヶ月間。
現在とは全く異なる時代であるため、一部伏せ字としますが、以下のようなことは当たり前の時代でした。
- 「※伝統のバット」での「◯ツ◯ット」…。
=※砂が目一杯詰められたプラスチック製のカラーバットを先輩がフルスイングで…。
- 「しごき」と総称される各種メニューの強要。
=「ライン引き」や「アヒル」や「空気イス」…。ご存じの方はいらっしゃいますでしょうか?
これだけにはとどまりません。
- 水筒の飲み物や、お弁当🍱のおかずの一部が先輩に…
- 真夏☀️であろうと練習中は水が一切飲めない。
- 声が嗄れるまでの声出し。
- 打撃練習など夢のまた夢。
- ヘアスタイルは「3mm」坊主がスタンダード。
- 大会前には「5厘刈り」。
=体操服やTシャツがスムーズに着られません😥
このようなことは当たり前の時代でした。
「自分たちの代では絶対このようなことはしない」と思いつつ、毎日部活に行くのが恐怖でしかなかったです。
ただ、根性はついたと思います😓
②五島先生との出会いと別れ
二学年上の3年生を県大会ベスト8まで導いた名顧問の五島(ごとう)先生…。
ピッチャーとキャッチャーしかやったことのない私を、なんと「サード」に抜擢してくれました。
「さかいー!おまえのゴロさばきは長嶋みたいだなー😁」
守備練習でのノックの際、華麗に❓ゴロをさばき、ファーストに投げる私の姿を見て、こうおっしゃってくださったことは今でもはっきり覚えています。
そんな五島先生は、私が2年生になった4月に遠隔地である三浦市の中学校に異動…。
できれば引退までご指導を仰ぎたかった…。
その後、代わりとして赴任した鈴木先生は新任で若いことに加え、野球についてはほぼ「素人」。
今から思えば、先生も色々と野球について勉強なさったと思います…。
そんな鈴木先生のことを慮ることは一切せず、批判しては、最上級学年になったことをいいことに好き放題かつ適当に練習を…。
2年生秋の新人戦では市内ベスト4までいったものの、最後の大会ではまさかの1回戦敗退。
当然といえば当然の結果だったと思います。
そして鈴木先生には本当に申し訳ないことをしました。
⒉高校時代の「部活」の思い出
2番手ピッチャーとしてベンチ入り。最大の思い出は高校2年生のときの夏の大会です。
◎横浜スタジアムでの登板
ものすごいクジ運…。
約200校と全国最大規模を誇る神奈川大会の抽選会で、キャプテンが引き当てたのはなんと!
開会式直後の開幕戦!
- 試合会場は神奈川高校球児にとっては「聖地」である横浜スタジアム!
- テレビ中継あり!
- 対戦相手は直前のセンバツ高校野球大会に出場の、名門「日大藤沢高校」!
- その先に控えるのは、その後横浜ベイスターズに入団することとなる、鈴木尚典選手率いるこれまた名門。第1シードの「横浜高校」!
このような記事が翌日の神奈川新聞を賑わしていました😓
試合に勝つことは半ば諦めつつも、ものすごい緊張感のなかで迎えた当日。
小雨が降り続くあいにくの天気…。
◆開会式直前。
- 入場行進は約200校中は最後から2番目と2時間近く待機…。
- 鈴木尚典選手はじめ、両側の名門校の選手たちの逞しすぎる体つき。
◆肝心の試合。
- 3回終了時点で「0-7」という状況での登板。
- マウンドから見る横浜スタジアム🏟の光景。
=「THE すり鉢」。内外野スタンドに包まれている感覚。
=すべりそう…。やけどしそう…。人工芝の感触。
=スコアボードの大きさ。
- 当てるのがやっと…。浮きあがる…。消える…。相手投手の超高校級レベルとの圧倒的格差。
=結果はファーストファウルフライ - 4番打者佐藤選手のライトポール際への特大ファール。
=「打った瞬間」という感覚。まさに異次元。 - 結果は「0-14」の5回コールド負け。
覚えているのはこのようなこと。
事実、私は7点を献上したのですが、どうやって取られたのかをまったく覚えておりません。
不思議ですよね。
「部活」を通じて今思うこと
以上、私の6年間にわたる「部活」の思い出をとりとめもなく書いてきたワケですが、今思うのは以下の下記の数点です。
⒈親への謝意
小学校3年生の少年野球から約9年間、野球⚾️をさせてくれたワケですが、
- 数少ない休みであるにもかかわらず、週末の試合会場への送り迎えで車を出してくださったこと。
- ユニフォームや、グラブ・スパイクなどの各種用具を不自由なく買い与えてくださったこと。
- ユニフォームの洗濯やお弁当🍙を用意してくださったこと。
- にもかかわらず、「やり切った」とはいえない状態で終わってしまったこと。
感謝の反面、申し訳ない気持ちでいっぱいです😢
⒉「やる気」と「前向きな気持ち」の欠如
以前の記事でご紹介しましたが、「やる気」とは以下の二点。
- 何がなんでもやり遂げようという「情熱」。
- 最後までやり遂げるのだという「執念」。
「あーあ。先輩たちついてないな…」
「どうせ無理でしょ」
「コールド負け確定」
「テレビ中継で恥を晒すのか…」
名門校との試合にしてもそうですが、本番までに思っていたのは上記のようなことだけ…。
「やってみなくては分からない!」
「何がなんでも勝つ!」
私に足りなかったのはこれに尽きると思っています。
「部活」に対して思いを巡らせたのは久しぶりのことでしたが、そこには「やり切った!」という達成感がないのですよね。
その後の「自信」に繋がらなかったのは当然の結末です。
⒊自責意識の欠如
「五島先生だったらな…」。
中学生時代、市内でベスト4に終わったときも、最後の大会で1回戦敗退を喫したときも自分たちが言っていたのはこんなことばかり。
顧問の先生の異動、新しい先生のこと…。
それだけに「矢印」を向けるばかりで、自分たちの実力や取り組み姿勢に目を向けることが一切ありませんでした。
もっともよろしくない「他責意識」というものです。
結論、「部活」を通して今の私に残っているのは、「自身の愚かさ」と「後悔の念」だけ。
過去と他人は変えられない。
変えられるのは未来と自分だけ。
「遠い過去」を後悔しても仕方がありませんので、これらを教訓に今後の仕事とプライベートに活かしていく次第です。
そしてそして、今がまさにその時期!
日々「卓球部🏓」の「部活」に勤しむ我が家の「大ちゃん」が「やり切った!」と言えるよう、親として温かく見守りつつも全力でのサポートを誓った次第でございますm(_ _)m
「部活」の思い出。
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「企業が人を輝かせるのではなく、人が企業を輝かせる」
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